ないしょのこと

少しでも意味ある毎日になりますように。

最近考えたこと

会社ってなんだよ。

いまだに解けない謎である。

幸いにも仕事を雑多に広範囲にふってもらえるので、

多角的に企業のことを捉える機会を得ることができた。

 

企業勤めも3年目に入った。

正直、一分野を極めるような働き方でなかったので

強みができたとは思えないが、それでも、分かることは

増えたんじゃないかと思う。

とはいえ、企業の大きさというのも、「会社とは何か」を

考えるうえで大事なファクターになるので、そこは追々考えるべきこと。

 

分かったことは、企業は人間の比喩で語ることができそうだということ。

よく、「法人」という言葉が出てくるが、企業はマジで「人」。

例えば、環境によって大きく左右されるところ。

参照する文章によって違うけれど、人間の成長には50%とか、

70%とかが環境が影響し、残りは遺伝子の影響だという。

企業も、属する業界や、主軸を置く国の動向なんかにモロに影響を受ける。

守ってもらえたり、むしろ迫害されたり、冷たくされたり。

長年の経営実績を持つ企業だって、環境の変化に適応していく必要があるし、

過去の環境変化の名残があったりする。

 

そして、「言ってること」「やってること」「考えていること」がある。

この分け方は、人間だと誰が唱えたものか分からないけれど

(私が整理したものではあるが、同じことをしている人が絶対いる)、

企業でもこれに該当するものがあり、関係性が似てくる。

 

人間は、「考えていること」を「言ってること」「やってること」として

アウトプットする。

でも、「考えていること」を本当に言うかどうか、本当にやるかどうかは、

場合による。時には矛盾する。矛盾した場合も個別に理由がある。

「なんかやっちゃった」ってときもある。無意識。

 

企業で言うと、「考えていること」が企業理念(その人の哲学)や

経営方針(将来の夢と、それに向かってやること)で、

「言ってること」が広告・PR・IRなどのメッセージ。

「やってること」が製品やサービス。

(非常にざっくりな比喩なのは許してほしい)

 

そして、それらは関連する。はず。

例えば、人間でいうと、「サッカー選手になりたい」と思う。

サッカー選手になりたいから、サッカーを練習したり、ボールが必要。

あこがれている選手やライバルがいて、夢があるから毎日練習する。

そして、普段はサッカーのプロリーグの試合の話なんかしている。

練習のコツとか、どんなプレーがやってみたいとか。

 

企業でいうと、「市場シェアで第1位になりたい」と思う。

市場シェアで1位になりたいから、営業活動をして製品を売ったり、

良い製品へ改良したりする。

競合企業がいて、目指すべき先輩企業がある。

普段は最新の業界ニュースに対して自社コラムを発表したり、

最近の自社サービス宣伝をしたりする。

 

何も考えてない人間って、いるんだろうか。

何かを良いと思ったり、悪いと思ったり、譲れないこだわりがあったり。

でも、将来の夢ややりたいことが見つからない人は、結構いそう。

たとえ将来の夢が見つからなくても、生きてはいかなきゃいけない。

生きていくにはお金が必要だ。

お金を稼ぐために、働くだろう。その働き方を選んでいくことになる。

どんな働き方でもいい人は、手近なもので働く。

でもそれは、「どんな働き方でもいい」という考えがあるからそうしている。

 

企業は、法人は、どこまで考えているんだろうか。

将来の夢ややりたいことが見つかっていない企業は、あるんだろうか。

人間には国が用意したセーフティネットがあるけれど、

企業はそうはいかないだろう。倒産が待ってる。

どんな稼ぎ方でもいい企業は、「なんでも屋」になるんだろうか。

 

そして、どうやら私は、「考えていること」がはっきりしていて、

「言ってること」と「やってること」が「考えていること」に一致してるような、

そんな企業が好きらしいということが分かった。

「考えていること」に共感できる、というのも大きい。

 

どんな企業に居たいか、どの共同体に属していたいか、

それをはっきりさせるためには、自分が何を考えているかも

ハッキリさせなければいけないらしい。

(だから就活で自己分析とかさせるのか? いまさら納得したぞ)

 

さて、これからどうしよう、というのが今の悩み。

まずは自分の考えをハッキリさせるために、何かしらをアウトプットすると

いいのかもしれない。

でも、アウトプットできるほど自分の考えがすっきりハッキリかと言われると、

それもまたちょっと怖いものだ。

自分が思っているほど、自分は自分のことを知らない。

いつだってそうだ。

 

そして、今の会社が好きな「人」になるように、仕向けなければいけない。

どうしても無理だったら辞める。

 

他にも、企業理念のための部署を作ったけどことごとく失敗している例とか、

PR戦略がうまくいっていないけれど製品がすぐれている例、

サービスはクズだけどPRがうまいとどうなるかなど、

この比喩で説明できそうな例がたくさんあったんだけど、

書くだけのエネルギーがないから割愛。

自社の取り組みと所属する人の考え方が合ってないと何が起こるか、とか、

でかい法「人」を構成するのが「人」だから起こることも、

頑張れば説明できそうな気がしたんだけど、疲れたからやめる。

 

最近嫌いなフレーズは、「社長だから」です。以上。

 

 

生活はどうだい

以前と全く違う業界で仕事を始めてから、1年とちょっとが経った。

まさか実現すると思わなかった正社員雇用。

わりとあきらめてたんだけど、叶ってしまって驚いている。

でも、もしかしたらすぐにクビにされるかもしれないと思って、

1年間は黙っていようと思った。

「いい夢を見たあと、誰かに話したら正夢にならない」みたいな感覚。

 

まったくの初心者、社会人として初めて働くなかで、

名刺の交換のしかたや、会社特有の書類のやりとり、業界の知識…

新しく勉強することが多くて、目まぐるしくて、あっという間。

小さな会社で、まさか教育係がちゃんと付くなんてこともなく、

自分で調べたり、親切な会社の人々に質問したりして、少しずつ、

最低限のことができるようになってきたと思う。

 

働く中で、「会社ってなんだろう」とか、「会社を長続きさせるためには」とか、

「この会社を成り立たせるためには」とは、いろいろと考えた。

普通の、できて何年も経つ会社にいたら、まず考えないようなことばかり。

でも楽しい。

 

同時に副業として、いままでのフィールド(業界)の仕事もした。

やっぱり何年もやっていることをやると、勝手が分かっていてやりやすい。

人の役に立っている手ごたえが、しっかり感じられることって、

とても気分がいいものだ。

そうやって本業と副業の両輪で取り組むことで、精神的なバランスが取れた。

 

仕事は奥が深い。すぐに分かることなんてない。

何年もかけて、やっと全体像が見えてくるものだと、分かってきた。

 

彼氏には、正直に、自分の気持ちをしゃべった。

もう一人好きな人がいて、偽らずどちらも好きだと思っていること、

その人と関係を持ってしまい、お互いに好きだと思っているということ。

自分には決められないから、どうしたいか決めてほしいと言った。

彼氏は、「いずれはどちらかが破綻するし、待つ」と言って、

「好きにしていい」とも言ってくれた。

それが去年の夏の話。

 

最近になって、関係性の変化を感じている。

好きな人、は少しずつ、気持ちが遠ざかっているけれど、

それを口には出さないで、ふとした仕草に漏れている。

私はそれを悲しく眺める。

決定的な終わりは来ない。

ゆっくりと終わりに向かって動き始めているのを、私はただただ

眺めている。

自分から終わらせようとは思わない。

最後まで、見ていようと思う。

 

最近はそんな感じで、大した愚痴もなく過ごしている。

穏やかな心持ちだけれど、目の前の、学ばなきゃいけないことが多すぎて、

少し辟易しているくらい。

 

きっとこれはよくある、ひとつの平和な生活の形。

つらい

初めて会った男と寝ることに抵抗がない。

それでも、ふだんはできるだけ相手を選ぶようにして、

そのうえで相手を全力で「その瞬間だけ愛する」ようにしていた。

全力のリスペクトをもって、愛を注ぎ込むことができる、

「友達」かもしれないけど、それでも大切にしていた。

 

今回は、そうではなかった。

私はあなたのことを、「そういう相手」としてみたことはなかった。

そして、どこかでそうはなるまいという気持ちがあった。

それは、「友達」と一緒にするつもりがなかったし、

ずっとあなたに彼女がいたからだし、

境界線を守ったうえで、一生関わり続けたかったから。

とてもお世話になっていた(今もなっている)から、

役に立つことなら何でも手伝いたいと思っている。

その気持ちから、掃除したりしたけど。

 

でも、とても愛しく思ったのも本当のことで、

笑う姿を増やせたら、少しでも落ちつく瞬間を増やせたら、

私と触れ合う時間が、前向きな気持ちを作ってくれたら、

そう思っていて、あなたはいちいちかわいくて、

それを愛しさだと思って、この二日間くらいを、幸せに過ごした。

 

「友達」とは違うものがあった。

瞬間ではない愛しさが生まれているのが分かった。

でも、私には彼氏がいて、それはそれで違うものがあって、

自分のなかにあった唯一だったはずの場所が歪み始めて、

ひとたび別れて一人になったとき、味わったことのない辛さが、

顔を覆いたくさせて、実際覆って、苦しさをやり過ごすようにしていた。

 

寂しさとか、欲とか、それだけのものだったのか、

そう聞かれると「違う」が答えだと思う。

だけど、じゃあこれからどうすればいいのか、まったく見えない。

将来的にあなたを苦しめる気がする。

不健全なつながり方をしてしまった。

これは大切な人に対する大切にするやり方ではない。

大切なら、もっとまっとうな仕方で大切にしなきゃいけないと思うし、

大切にできないなら、その深みに足を踏み入れてはいけない。

分かっていたはずなのに、始めたのは間違いなく私だった。

私のせいだった。

 

…謝ったところでいったい何になるというんだろう。

取り戻せないことをした。

私はこれから、いったいどうしたらいいんだろう。

何もなかったような顔をして日常に帰っていける気がしない。

これから先待ち受ける気持ちの波を、無事に乗り越えられる気がしない。

馬鹿だな。これ、二日間何度かつぶやいた。

自分が馬鹿だった。そして今も馬鹿だ。

 

つらいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事が変わった

新しいお仕事が始まってから2週間が経った。

本当にあっという間になじんできてしまったので、

「気づいたら働いていた」といった状況である。

以前の仕事(塾講師)とはまったくもってかけ離れた、

オフィスで座って働く毎日に、自分で驚いている。

ADHDのなかでも注意欠陥傾向が強い自分だが、

キャパシティを超えはじめると多動状態になる。

できるだけそうならないように配慮しつつ、

「本来であれば職場とはこのように落ち着いていられる

場所である」という常識に、遠慮がちに適応し始める。

 

やることが多すぎていつも行き当たりばったりに動いた前職。

今考えてみれば、あれは約45個の企画を同時進行していた。

どうりで意味が分からなくなるわけだ。

人間に管理できる容量というのは限度がある。

 

現在はそれがおおよそ10のタスクで収まる。

新しく覚えることはたくさんあるが、

全くもって後ろ向きな感情にならない。

これが余裕のなせるわざ…。

 

今日も幸せな気分で眠れる。

 

引越し

人生で8回目(?)の引っ越しを終えた。

うん、(北区)→(中央区)→(北区)→(限りなく赤羽)→(駅から徒歩20分)→(学校の近く)→(駅から徒歩5分)→(駅から徒歩20分)→(駅から3分)。

こう書いてみると壮観であるよ。

役所での手続きやインフラ関係の連絡がだんだん得意になる。あとは不動産屋さんに行ったときにどこに注目するかがはっきりしていく。荷造りも早くなる。

今回の引っ越しで学んだことは、断る勇気をもつこと。

お人よしだからといって押しに負けて自分の生活を妥協するなんて、本末転倒だ。

4回目の引っ越しのとき、もっとうまくいけただろうに…。

 

今回は本の大幅な断捨離にも挑戦した。正直つらかったが、捨てていく(全部売った)なかで、自分の今後の方向性がしっかりしていった。

塾業界には戻ってこないからもう無理な勉強は後回しにして、自分が知りたいことや考えたいことを優先する。自分の楽しみのための読書を復権させる。

…とはいえ、新しい仕事に向けて知識を取り入れる必要があり、これがまた膨大な量になりそうだ。また本を増やすと怒られてしまいそうでこわい。

何がしたいか。勉強がしたい。私にとってはほとんどのものが勉強に見える。

だからそれでいい。今年はガンガンいこう。

 

仕事辞めるの難しい

12月16日付で退職した。大変迷惑極まりない奴で申し訳ないが、引き継ぎは一切していない。許されるものならあれこれ注文付けたかったし、メールが来れば対応する気満々だったのだが、ただの一つも連絡は来なかった。

あんなに「私がいないとどうなるのだろうか」と思っていたのに、何のことはない、いなければいないでなんとか世界は平常運行するようだ。

雇用保険に入っていなかったらしく(法律違反?)、さかのぼっての加入をお願いした。その結果、退職の1か月前にはお願いしていたはずの雇用保険加入と離職票の発行が、退職から約1か月後になった(今日届いた)。

アルバイト風情が雇用保険に入るなんて、と思われたのだろうか、嫌がらせの実例として私と同じ境遇になった人はいるらしい。だがしかし、私とて自分で自分の生計を立てているのであって、そこにおいては正社員と何ら変わりはない。同じように困るということだ。

財布に1,000円残すのが精いっぱいだった。明日最後の給料が入るが、家賃と相殺になって手元には何も残らない。いったいどう暮らせというのだろうか。

じゃあしょうがない、日払いのバイトでなんとかしよう、ということになる。日払いのバイトでは当面の暮らしをなんとかするぐらいしか稼げない。がっつり働くと失業手当は下りない。終わらない非正規雇用の罠が待っているらしい。

 

ここで嫌がらせのように某宗教団体のネットCMが目につく。絆?

同情するなら金をくれ。そして仕事をくれ。

分かってる。くれないよな。

 

オブリビオン

 

私にとっては「へいよーぐっつすっす」のネトゲだった「オブリビオン」。

同タイトルで映画があることを知り、まあ見なさいなとの勧めで鑑賞した。

 

グラフィックが綺麗で自然の広大な風景にうっとりする。さらに音楽が良い。

なんだ、神映画かよ。ストーリーが抜群に良かった(ネタバレはしない主義だ)。

そこで、タイトルについて考えていた。

 

Oblivion”(英語)は「(世間などから)忘れられている状態;忘れること、忘却、忘れっぽさ」という意味がある。(『旺文社 レクシス英和辞典』)

忘れられている…受動態のニュアンス?

「忘れている」といえば、「覚えている」の反対語である。これは状態の話だ。

ただし、「忘れる」と「覚える」は動作になるだろうか。

そこで私の考えは「覚える」のほうへと迂回した。

 

「覚える」といえば、rememberが出てくる。これは状態動詞であり、正確に訳すと「覚えている」だと習った。…まてよ、と辞書に手を伸ばす。

 

rememberだけで辞書を二列使っていた。確かに、私のなかの不確かさを明らかにするためには、そのくらい書いてもらわないと困る。

さすがにすべてを転記する気は起きない。そこに記されていたのは、「覚えている;思い出す;忘れずに…する」という主軸を成す3要素。細かい部分に目を走らせると、「…として記憶にとどめる」といったものもある。

つまりは動作動詞であり、状態動詞としても使えるということだろうか。

 

反対語としてforgetが記載されている。そちらも参照する。

「(記憶していたこと)を忘れる」、「…を考えない[忘れる]ようにする」どちらも書いてある。やはりそのようだ。うっかり忘れている状態も、意識して忘れようとする動作も、等しくforgetが使えるということのようだ。

 

 さて、ここでforgetには「忘れさせる」といった訳はなく、「忘れられる」という訳も無いことに気付いた。どうやら、oblivionとは別物らしい。そして、スペルを見ながら考えた。フランス語に似ている。

 

フランス語で「忘れる」といえばoublier。この単語、代名動詞としても使える。

s'oublier「忘れられる、消え去る」(『プチ・ロワイヤル仏和辞典(第4版)」)

oblivionはフランス語由来だ、という推測に至った。

 

…つらつらと意味のないことを考えたものだ。

 

忘れられる、ということは、忘れる奴がいる。忘れさせる奴は…時の流れや、日々の忙しさすなわち、新しい記憶。

記憶が記憶を隅に追いやり、その追いやった方の記憶もいずれ追いやられる。

「忘れる」ことについて、いずれまた考えることになるのだろう。